「ウザい」は諦めの呪文なのか|不快を感じた瞬間に思考を止めていないか

保護者向け

最近、若い人たちの会話を聞いていると、「ウザッ」「マジうざい」という言葉をよく耳にします。 もちろん、若者言葉そのものを否定したいわけではありません。 どの時代にも、その世代特有の言葉はありました。

ただ、気になるのは、「ウザい」と言ったあと、その場から離れてしまう場面で話が終わってしまう事です。 注意されたとき。 思い通りにならなかったとき。 少し面倒なことに直面したとき。 「ウザッ」そう言って終わる。

私はこれを見るたびに、「ウザい」が諦めの呪文になっていないだろうかと思うことがあります。

「ウザい」は聞く側にも残る

本人は軽い気持ちで言っているのかもしれません。 しかし、言われた側からすれば、「話を聞く気がない」「拒絶された」「面倒な相手として扱われた」と感じることもあります。

これは単なるジェネレーションギャップではないでしょう。 若者同士でも、真剣に話しているときに「ウザい」と返されたら、決して気分の良い言葉ではありません。

問題は「ウザい」という言葉ではない

問題は、その言葉を使うこと自体ではありません。
人間なら誰でも、面倒だと思うこともあれば、イライラすることもあります。
気になるのは、「ウザい」の一言で考えることまで終わってしまうことです。

例えば、「この課題ウザい」と言ったとします。
でも、本当は、「難しくて分からない」「どこから手を付ければいいか分からない」「時間がかかりそうで嫌だ」なのかもしれません。
それを全部「ウザい」で済ませれば、自分が何に困っているのかを考えなくても済みます。

心理学的には「回避」に近い

嫌なことが起きる ➾ ストレスを感じる ➾ 「ウザい」と言う ➾ その場から離れる
これで一時的には楽になるかもしれません。
しかし、問題は何も解決していません。
本来なら、「何が嫌なのか」「なぜ嫌なのか」「どうすればいいのか」と考えるはずです。
ところが、「ウザい」で終わると、その思考の流れまで止まってしまいます。

だから私は、この言葉が時々、思考停止のスイッチに見えるのです。

不快から離れやすい社会になった

今は、不快なものから離れることが簡単です。

動画がつまらなければスワイプする。
SNSで嫌な相手がいればミュートする。
ゲームが難しければ別のものに移る。
仕事を辞めるときにも、退職代行を使って相手と向き合わずに済む選択肢がある。

便利になった一方で、
「少し嫌だけど考える」「面倒だけど向き合う」経験は減っているのかもしれません。

問題解決には、多少のストレスがつきものです。
分からない、うまくいかない、面倒だ ➾ 「じゃあ、どうしよう」と考える。
この時間が大切なのだと思います。

「ウザい」で終わらせない

「ウザい」と感じること自体は悪いことではありません。 大切なのは、そのあとです。
「ウザい」と思ったら、そこで終わるのではなく、「自分は何をウザいと感じたんだろう?」と一度考えてみる。 「難しいから嫌なのか」「説明が分かりにくいのか」「時間がかかるのが嫌なのか」「相手の言い方に腹が立ったのか」

理由が分かれば、次に、「じゃあ、自分はどうする?」
質問する。 やり方を変える。 少し時間を置く。 相手に伝える。 それでも合わないなら離れる。 ここまで考えた上での行動なら、単なる逃避とは違います。 「ウザい」という言葉をなくす必要はありません。 ただ、「ウザい」→立ち去る→終了ではなく、「ウザい」→なぜ?→どうする?まで進める。

それだけで、「諦めの呪文」は、自分で問題を整理するための入口に変わるのではないでしょうか。

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