「自分には向いていません」という言葉への違和感
私は専門学校でプログラミングを教えています。
初めてプログラミングに触れる生徒も多く、授業では基礎から少しずつ学んでいきます。 そんな中、気になることがあります。 授業中にスマートフォンを触っていたり、居眠りをしていたりする生徒が、演習になると「わかりません」と言うのです。
それだけなら、まだわかります。 ところが、時には「自分には向いていません」という言葉まで出てきます。 しかも、十分に取り組んだ後ならともかく、授業の導入段階で口にする生徒もいます。
正直なところ、「いやいや、まだやってもいないじゃないか」と思ってしまいます。 もちろん、誰にでも得意・不得意はあります。 しかし、経験もしていない段階で、自分に向いているかどうかを判断できるのでしょうか。
できないのは当たり前。だから学んでいる
私は授業で、よくこんな話をします。
「最初からできなくても大丈夫。わからなければ、まずは先生の真似をしてみよう」
プログラミングでは、最初からコードの意味をすべて理解する必要はありません。
まずは先生と同じコードを入力して、実行してみる。
すると、画面に文字が表示されたり、計算結果が出たりします。
最初は何が起きているのかわからなくても、繰り返すうちに少しずつ理解できるようになります。 そして、ある日突然、「あっ、前にやったあれは、こういう意味だったのか!」と気づく瞬間が訪れることがあります。
理解してから行動するだけではなく、行動することで理解できることもあるのです。
そもそも、最初からできるのであれば、学校で学ぶ必要はありません。
できないからこそ、学びに来ているのです。
「向いていない」が呪いの言葉になる理由
では、なぜ「向いていない」という言葉が気になるのでしょうか。
それは、この言葉が自分自身の行動を制限してしまうことがあるからです。
例えば、プログラミングを始める前から「自分には向いていない」と思い込んでいたとします。
すると、授業にも積極的に取り組まなくなるかもしれません。
当然、練習する機会が減れば、できるようになるまでに時間がかかります。
そして、うまくできないと「ほら、やっぱり向いていなかった」と考えてしまう。
これでは、自分の思い込みを自分で証明しているようなものです。

心理学には、自分の予想や思い込みに沿って行動することで、その予想が現実になってしまう「自己成就的予言」という考え方があります。 「向いていない」という言葉も、使い方によっては、自分の可能性を縛る呪いになってしまうのです。
「できない」と「やろうとしない」は違う
ここは誤解してほしくないところです。
私は、できない生徒を責めたいわけではありません。 一生懸命取り組んでも、なかなか理解できないことはあります。 理解するまでに必要な時間も、人によって違います。 だからこそ、私たち教える側にも、説明を工夫したり、一人ひとりを支援したりする役割があります。
ただ、「できないこと」と「やろうとしないこと」は別の話です。 もちろん、「向いていない」という言葉の裏には、失敗への不安や自信のなさが隠れている場合もあるでしょう。 それでも、何も試さないまま結論を出すのは、もったいないと思うのです。
「向いていない」を「まだできない」に変えてみる
これは、プログラミングだけの話ではありません。
新しい仕事、資格の勉強、スポーツ、趣味など、初めてのことには誰でも戸惑います。 そんなとき、「自分には向いていない」と考える代わりに、「今はまだできない」と考えてみてはどうでしょうか。 たった数文字の違いですが、意味は大きく変わります。

「向いていない」は、自分の可能性に結論を出す言葉。 一方、「まだできない」は、これから変わる余地を残す言葉です。
もちろん、実際に取り組んだ結果、別の道を選ぶこともあるでしょう。 それは決して悪いことではありません。 大切なのは、十分に経験する前から、自分の限界を決めつけないことです。
まとめ|自分の可能性を自分で閉ざさない
授業で生徒たちを見ていると、最初は何もわからなかった子が、少しずつ自分でプログラムを作れるようになる姿に出会います。 そんな成長を見ることが、教える側の楽しみでもあります。
だからこそ、まだ始めてもいない段階で「向いていない」と諦めてしまうのは、残念に感じます。
「向いていない」と決めつけるのは、いつでもできます。
でも、自分の可能性を知るためには、まずやってみるしかないのです。


コメント