なぜ人は群れたがるのか?|グループは作るものではなく自然にできるもの

保護者向け

皆さんは、「いつも一緒にいるグループ」はありますか?
学校でも職場でも、気の合う人同士が仲良くなるのは普通のことです。
私は昔から、「私たちはこのグループです」と仲間であることを強くアピールする雰囲気が苦手でした。 仲がいいことが嫌なわけではありません。 私自身、友人もいますし、野球チームも持っています。 では、何が引っかかるのでしょうか。

考えてみると、私が苦手なのは「仲間」ではなく、人間関係にわざわざ線を引いて、「内側」と「外側」を作ることなのかもしれません。 では、人はなぜ群れたがるのでしょうか。 そして、自然にできる仲間と、意識して作るグループには、どんな違いがあるのでしょうか。

人が仲間を作るのはごく自然なこと

そもそも人間は、昔から集団で生活してきた生き物です。 学校でも職場でも、気の合う人は自然とできます。 好きなものが同じだったり、考え方が似ていたり、一緒にいる時間が長かったり。 そうして、いつの間にかよく話すようになります。 心理学でも、人間には誰かとつながりたい、集団に所属したいという欲求があると考えられています。 ですから、仲間を持つこと自体に問題があるわけではありません。 大切なのは、自然に仲間ができることと、意識して「内と外」を作ることは違うという点です。

共通の趣味や目的でつながった仲間は強い

人が自然に集まる大きなきっかけの一つが、「好きなこと」や「共通の目的」です。
私自身、野球チームを持っています。 これも、考えてみれば立派なグループです。 しかし、「仲間を作ろう」と思って人を集めたわけではありません。 最初にあったのは、「野球が好き」「野球をやりたい」という共通点でした。 野球をやりたい人が集まり、一緒に練習したり試合をしたりする。 その中で会話が増え、自然と人間関係ができていきます。

つまり、仲間を作るために集まったのではなく、共通の好きなことがあったから、結果として仲間になったのです。 私は、この順番が大切なのだと思います。

仲間意識が強くなりすぎると「内と外」が生まれる

もちろん、仲間意識は悪いものではありません。 スポーツなら「みんなで勝とう」という気持ちがチームを強くすることもあります。 仕事でも、同じ目標に向かって協力することで、大きな成果につながることがあります。 ところが、仲間意識が強くなりすぎると、「私たち」と「あの人たち」という境界線が生まれることがあります。 心理学では、自分が所属している集団を「内集団」、それ以外を「外集団」として捉える考え方があります。 すると、仲間には親切なのに、それ以外の人には冷たい。仲間の失敗には寛容なのに、外の人の失敗には厳しい、といったことも起こりやすくなります。

でも、ここは分けて考えなくてはいけません。
仲間を大切にすることと、仲間ではない人を粗末に扱うことは、まったく別の話です。

グループ分けすると本当の姿が見えなくなる

学校での分かりやすい例が「スクールカースト」です。 「陽キャ」「陰キャ」「上のグループ」「下のグループ」など、人間関係を分かりやすく分類しようとします。 でも、本当の人間関係はそんなに単純でしょうか。 ある友達とはゲームの話をする。 別の友達とは部活で仲がいい。 普段は一人でいることが多いけれど、話してみれば社交的な人だっています。 一人の人間が、いくつもの人間関係を持っているのが普通です。 ところが「あの人はこっち」「この人はあっち」と線を引けば、複雑な人間関係を簡単に整理できます。 確かに分かりやすくはなります。 でも、分かりやすいことと、正しいことは同じではありません。 人間は、それほど簡単に分類できるものではないからです。

「仲間であること」をアピールする必要はあるのか

ここで、私が昔から感じていた違和感の話に戻ります。 たとえば、かつてテレビでよく耳にした「ヘキサゴンファミリー」という言葉です。 私は当時から、あの「ファミリー」という表現に強い違和感がありました。 もちろん、出演者同士が仲良くすることが嫌だったわけではありません。 番組や出演者が良かった、悪かったという話でもありません。

今になって考えてみると、私が引っかかっていたのは、「私たちは仲間です」と集団であることを強く見せる感覚だったのだと思います。 「ファミリー」と名前を付けることで、「中にいる人」と「外にいる人」が見えてくる。 そして、中心となる人の周りに人が集まり、「自分たちは特別な仲間だ」という雰囲気が強くなる。 私は昔から、こうした「仲間であることを必要以上にアピールする文化」が苦手だったのだと思います。 仲がいいなら、仲がいい。 それだけで十分ではないでしょうか。

仲が良いと礼儀は別物

この「内と外」の意識が問題になるのは、外にいる人への態度まで変わってしまったときです。 職場でも、気の合う人同士で話したり、食事をしたりするのは普通です。 しかし、自分たちのグループではない人には挨拶さえしない。 そこまでいくと、「仲がいい」という話とは別だと思います。

私自身、以前は武道をやっていました。 そこで大切にされていたのが、「礼に始まり、礼に終わる」という考え方です。 これは武道だけの話ではないと思っています。 誰とでも仲良くする必要はありません。 苦手な人がいてもいい。 意見の合わない人がいてもいい。 無理に親しくする必要もありません。 それでも、挨拶はできます。

重要なのは「グループ」ではなく「つながり」

人間だから、仲間は必要です。 一人ですべてをやる必要はありませんし、困ったときには助け合えばいい。 誰かと一緒に何かをする楽しさもあります。 ただ、そのために無理にグループを作る必要はないのではないでしょうか。 野球が好きだから一緒に野球をする。 同じ仕事をしているから協力する。 同じ目標を追いかけているから助け合う。 そこから会話が生まれ、信頼関係が生まれ、気がつけば仲間になっている。

「誰と仲間になるか」が先なのではなく、「何を一緒にするか」が先。
私は、そんな人間関係のほうが自然だと思っています。

まとめ|誰と仲間かより、仲間ではない人にどう接するか

気の合う人ができるのは自然なことです。 仲間を大切にすることも素晴らしいことです。 でも、「私たちは仲間」「あなたは違う」と、必要以上に境界線を引く必要はありません。 グループは作るものではなく、自然にできるもの。 共通の趣味や目的があり、人が集まり、その結果として仲間になる。 そして、その人がどんな人なのかは、「誰と仲間なのか」だけでは分からないと思います。 むしろ「自分の仲間ではない人に、どう接しているのか」そんなところに、その人の人間性が一番表れるのではないかと思います。

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