「勉強ができる」本来であれば褒め言葉のはずなのに、こんな人もいます。
「勉強はできるけど、人の気持ちが分からない」
「勉強はできるけど、周りが見えていない」
「勉強はできるけど、一緒に仕事したくない」
少し厳しい表現ですが、いわゆる「勉強できるバカ」と呼ばれる状態です。
私は教育の仕事をしていますが、AI時代になった今、この言葉が以前よりも重要な意味を持つようになったと感じています。
勉強ができることは本当に素晴らしい
まず誤解してほしくないのは、私は勉強を否定したいわけではありません。
良い成績を取るために努力すること、資格取得のために勉強すること、知識を身につけることは素晴らしいことです。 実際、社会に出ても知識や専門性は大きな武器になります。
問題なのは、「勉強ができる=何をしても許される」と考えてしまうことです。
勉強ができるから何をしてもいいわけではない
例えば、授業中に寝る人がいます。
スマートフォンを触る人もいます。
友人と関係のない話を続ける人もいます。
本人は、
「内容は分かっているから」
「テストで点数は取れるから」
と思っているのかもしれません。
しかし、授業は自分一人のために行われているものではありません。
周囲には真剣に学びたい人もいます。
知識があることと、人として尊敬されることは別の話です。 本当に賢い人は、自分の能力だけでなく、自分の行動が周囲にどのような影響を与えるのかまで考えています。
「社会に出たらできる」は本当なのか
こういう話をすると、
「今は学生だから」
「社会人になったらちゃんとやる」
という人がいますが果たしてそうでしょうか?
人の習慣はそう簡単には変わりません。
授業中に寝ることが当たり前になっている人が、会社の会議で集中できるとは思えません。
授業中にスマートフォンを触ることが習慣になっている人が、仕事中に目の前の業務へ集中できるのでしょうか?
他人の話を聞かない習慣がある人が、会社で急に周囲と協力できるようになるとも限りません。
学校は知識を学ぶ場所であると同時に、社会で必要な姿勢や習慣を身につける場所でもあるのです。
AI時代だからこそ人間力が重要になる
さらに、これからはAIが知識を補ってくれる時代です。
分からないことがあればAIに聞けばよい。
文章も作れる。
調査もできる。
つまり、「知っていること」だけの価値は少しずつ下がっていきます。
その一方で、
・相手を尊重する力
・信頼を築く力
・周囲への配慮
・協力して物事を進める力
こうした人間にしかできない能力の価値は高まっていきます。
本当に賢い人とは
本当に賢い人とは、知識を持っている人ではありません。
知識を持つ持たない、学力のあるなしに関係なく、周囲を気遣える人です。
勉強ができることは素晴らしい。
しかし、勉強ができるからといって何をしてもいいわけではない。
AI時代だからこそ、その当たり前のことが、これまで以上に重要になっていくのではないでしょうか。



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