オリンピックを見ていると、不思議なことがあります。
フィギュアスケートの演技が終わったあと、なぜか涙が出る。
上手く説明はできない。
でも、確かに心が動いている。
今日は、その「うまく言葉にできない感情」を、少し整理してみましょう。
私たちは技術ではなく“物語”を見ている
テレビ中継では、演技の前に必ず選手の紹介があります。
- 幼少期の映像
- けがや挫折のエピソード
- 家族との時間
- 何年も続けてきた努力
これは単なる情報ではありません。
これは、感情の準備です。
いきなりジャンプを見るのではなく、
「この人はここまで来るのにどれだけの時間をかけたのか」を知る。
すると、その4分間の演技は、
ただの技術ではなく「人生のクライマックス」に見えてくる。
私たちは、プレーを見ているようで、
実は「物語の頂点」を見ているのです。
なぜ他国の選手も応援してしまうのか?
オリンピックは国同士の戦いです。
でも実際はどうでしょう。
他の国の選手でも、転べば「立ち上がってほしい」と思う。
成功すれば自然と拍手をしている。
なぜでしょうか。
それは、人間が「努力」に本能的に反応するからです。
努力は、言葉を超えます。
文化を超えます。
国籍を超えます。
私たちの心が動くのは、「日本人だから」ではなく、
「人間が限界に挑んでいるから」なのです。
なぜ「勝ってほしい」より「出し切ってほしい」と思うのか
スポーツを見ていると、こう思いませんか。
「勝ってほしい」というより、
「力を出し切ってほしい」と。
ここが、とても大事です。
私たちは自分の人生の中で、
- 本気を出し切れなかった経験
- 挑戦をためらった瞬間
- やりきれなかった後悔
を少なからず持っています。
だから選手に対して、
「どうか出し切ってほしい」
と願う。
それは、ある意味で
自分の分まで挑戦してほしい
という思いなのかもしれません。
スポーツ観戦は、代理体験でもあるのです。
感動の正体は「人間の純度」
オリンピックの舞台には、打算がありません。
スポンサーもあるし、政治もあります。
でも、最終的に決めるのは身体と技術です。
そこにあるのは、
- 限界まで鍛えた身体
- 極限まで集中した精神
- 何年も積み重ねた努力
人間の「純度」が最も高い瞬間。
私たちは本能的に、この純粋さに心を打たれます。
ニュースでは失望することもある。
社会では疑いたくなることもある。
でもスポーツは、
「人間ってすごいな」
と思わせてくれる。
だから、涙が出るのです。
感動があるから見続けるのか?
ここで一つ問いがあります。
感動するから、スポーツを見るのでしょうか。
それとも、見続けるから、感動が深くなるのでしょうか。
おそらく両方です。
見続けることで物語を知る。
物語を知るから感情が積み重なる。
積み重なるから、最後に涙が出る。
感動は、突然生まれるものではありません。
時間をかけて育つものなのです。
まとめ
オリンピックで涙が出る理由。
それは、
- 努力の物語を見ているから
- 人間の限界に触れているから
- 自分の人生を重ねているから
そして何より、
「人間を信じたくなる瞬間」に立ち会っているから。
うまく説明できなかったあの感情は、
決して曖昧なものではありません。
それは、人間が人間に感動している証です。
次にスポーツを観るとき、
少しだけ思い出してみてください。
あなたが涙するのは、
技術の美しさだけではなく、
人間の尊さに触れているからなのです。



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