🪶 妖怪川柳コン廃止に見る“本当の価値”とは?

AIと未来

──AI時代、創る人はどう向き合うべきか


🩶 第1章|妖怪川柳コン終了──AIがもたらした“線引きの崩壊”

「妖怪川柳コンテストが、今年で最後になります。」

このニュースに驚いた人も多いでしょう。
水木しげるさんのふるさと・鳥取県境港で長年続いてきたこの大会は、
“妖怪”をテーマにしたユニークな川柳として、
地域文化の象徴でもありました。

しかし、主催者はこう説明しました。

「AIが生成した句と人間が作った句の見分けがつかなくなった」

つまり、AIが人間と同じレベルで“それらしい句”を生み出すようになったのです。

一見すると、技術の進歩を感じる話。
でもその裏には、「文化をどう守るか」という
より深い問いが潜んでいます。


💔 第2章|AIが奪ったのは“技術”ではなく“物語”

AIが上手に川柳を詠めるようになったとしても、
それは「うまい句」ではあっても、「心のある句」ではありません。

なぜなら、作品の背後に“誰かの人生”がないからです。

たとえば、
あるお年寄りが孫の笑顔を思い浮かべて詠んだ一句、
ある若者が失恋の夜に書き留めた一句。
そこには、その人だけの想いや体験、人生の時間がにじみます。

それが、文化です。
文化とは「上手な模倣」ではなく、
**“その人にしか作れなかった一瞬”**の積み重ねなんです。

AIが奪ったのは「句を詠む力」ではなく、
「人の物語が宿る場所」でした。


🧶 第3章|芸術家も職人も、いま同じ問いの前にいる

この問題は、川柳だけではありません。
絵画、音楽、写真、小説、工芸、広告コピー、建築――
あらゆるジャンルの“作り手”が同じ壁にぶつかっています。

AIが画像を描き、曲を作り、言葉を並べ、設計図を作る。
しかも一瞬で、そしてかなり上手に。

でも本当に人が感動するのは、
完成度よりも**“作り手の呼吸”や“迷い”が見える瞬間**です。

少しズレた筆の跡、震える歌声、言葉の不器用さ。
それらは「非効率」だけど、確かに人の温度を伝えます。

そして人はその“温度”に共感し、
「この人が作ったから好きだ」と感じる。

だから、芸術も職人技も教師の授業も――
本質的にはすべて、「その人にしか出せない音」をどう残すか、
という問いに変わってきているのです。


🔥 第4章|AIと競うのではなく、“分け合う”時代へ

これからの時代に必要なのは、
「AIにできないことを探すこと」ではなく、
「AIと何を分け合うかを考えること」だと思います。

AIに作らせる部分と、人が込める部分。
その境界をどうデザインするかが、新しい創作の形になる。

AIが「形」を作り、人間が「意味」を吹き込む。
あるいは、AIが「量産」し、人間が「選び」「語る」。

そんなふうに、人とAIが役割を分け合えば、
人の表現は“奪われる”のではなく、
むしろ深化していくはずです。


🌱 第5章|“心の継承”こそが、次の文化を守る

妖怪川柳コンの幕引きは、
文化が終わることではなく、
「私たちは何を受け継ぐのか」という問いの始まりです。

AIがどれだけ美しい句を生み出しても、
そこに「人生の揺らぎ」や「想いの重み」はありません。

けれど、私たち人間は、失敗や不器用さの中に
“自分だけの意味”を見つけることができる。

そして、それを次の世代へと手渡していく。

文化とは、道具ではなく、心のリレーです。


🕯️ さいごに

毎回の学校の授業のはじめに生徒に「3分間スピーチ」をやってもらってますが、ひとりの生徒がこの件をスピーチネタに取り上げていました。 AIと共存していくために非常に興味深い話題ですし、これから色々なシーンで同じような問題は起きると思います。 
AIが“上手く作れる”ようになった今だからこそ、私たちは“上手さの外側”にある価値を見つめ直す必要があります。

妖怪川柳コンが終わったのは、
AIに敗れたからではなく、
「人の想いをどう残すか」という時代の問いを突きつけたから。

AIが生み出す世界の中で、
私たち人間が残すべきもの――
それは「完璧な作品」ではなく、
心が動いた証なのだと思います。

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